八丈島~青ヶ島 最果ての秘境ツアー その3【おじゃりやれ(いらっしゃい)青ヶ島】

9/22(火) 八丈島→青ヶ島

日本で唯一のヘリコミユーター路線である、東邦航空の「東京愛らんどシャトル」の八丈→青ヶ島便に搭乗すべく、八丈空港に宿の親父さんに送ってもらい午前8:20頃に入る。空港ターミナルの片隅にある小さな受付が東邦航空のカウンターであり、カウンターの横には荷物を計量する秤が鎮座している。

搭乗手続きの受付は8:30~8:45であり、その間に荷物の計量を済ませ(荷物の持ち込み重量上限5kg、長尺物の長さは140cmが上限で、重量超過1kgごとに220円の超過料金を取られる)運賃を払ってチケットを受け取るというルールになっている。

家で散々荷物の重量を削っては計量したのだが、衣類や釣り道具をギリギリに絞っても、ノートPCを入れるとどうしても500gほど超過してしまうので諦めて1kg分の超過料金を払うつもりで計量をする。予想通り550gほど超過していたので220円追加で11430円を支払う。

飛行機で東京→八丈の特割並の価格であり、一見高いようであるが、ヘリでこの料金は実は超お得である(※)。これも離島支援のため、国が多額の補助金を出しているためにこの価格で乗ることができるという事であり、大変有り難い話である。ちなみに行きに乗ってきた東海汽船も多額の補助金を貰って何とか経営しているとガーデン荘のご主人が言っていた。

※ヘリはジェット機と同じく、操縦士と副操縦士の二人で操縦をするため、人件費がかさむ。そのくせ乗せられる乗客はたった9人なので、この価格は超お得と言っていい。

今回乗るのはアメリカ製のSikorsky S-76というジェットヘリである。

乗り心地がとてもよく、デザインが優れた機体なので、外国ではVIP専用機としても使われているような高級機種である。

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搭乗時間になると、普通のジェット機に乗るのと同じように荷物検査を行ってゲートを抜け、搭乗ゲートをくぐってそこから直に滑走路に降りて、滑走路上に待機しているヘリにぞろぞろと乗り込む事になる。

このヘリ、厳密に言うとジェットエンジンを搭載している訳ではないのだが、ターボシャフトエンジンと言うジェットに一応分類されるエンジンを二機搭載しており、ローターの爆音以外にも、タービンのけたたましい駆動音が客室の真上から伝わってくるため、中に乗り込むとヘリが発する音以外殆ど何も聞こえない

こうしているうちに出発時刻になり、八丈島→青ヶ島 東京愛らんどシャトル11便は爆音を鳴り響かせながら八丈の地を離れた。

[videopop vid=”1254088887″ vtitle=”テイクオフ”]

離陸したと思ったらあっという間に高度500m位まで上昇し、そのまま時速200km超で一路青ヶ島に向かって飛んでいく。

流石、乗り心地の良さが売りであるヘリだけあって、ヘリ特有のふらふらとした揺れは殆ど無く、ローターの振動が座席経由で尻に伝わるのを除けば、大変安定したスムーズな飛行をしてくれる。

20分弱真っ青な黒潮の上をひたすら飛び続け、もやの向こうに青ヶ島がぼーっと見えてきたと思ったら、あっという間に島の上空に差し掛かり、左にターンしながらぐんぐん高度を落とし、ヘリポートに滑り込むように着陸して到着。

[videopop vid=”1254088847″ vtitle=”ようこそ青ヶ島”]

到着すると、何せ5分しか着陸時間が無いものだから、人と荷物を大急ぎで降ろして八丈行きの人と荷物を載せてすぐ出発する。

青ヶ島にとっては外界とのまともで信頼性の高い唯一の交通手段であるため、島の人間は殆どヘリを使っての移動をするらしい。なので人の出迎えや見送りや荷物の受け取りのために、ヘリの到着時間前後は、島の人口の1~2割がヘリポートに集結する騒ぎとなる(ちなみに人口は170人程度なので17人集まれば1割だ!)。

ヘリの出発時は、駐在さんを含め、皆で手を振って青空に消えるヘリを見送る事になる。

[videopop vid=”1254093083″ vtitle=”さらば外界からの使者”]

ヘリを見送った後、恐ろしい僻地に取り残されてしまったような絶望感に似た感情に襲われたのはきっと気のせいに違いない。

宿のおかみさんがヘリポートまで車で迎えにきてくれていたので、もう一人ヘリに同乗してきた観光客と共に車に乗り込んで宿へ向かう。

おかみさん曰く、何でも休祭日は新聞を取りにヘリポートに来ないといけないので、ヘリが飛ぶ休祭日は必ずヘリポートまで来るそうで。平日は、村役場に各家用の新聞受けポストがあるのでそこに取りに行くらしい。

ちなみに、おかみさんは華恵さんに良く似た長身の綺麗な人でした。姉妹だと言われたら信じちゃうな・・・って位・・・

駐在さんがヘリポートに乗り付けていた、島で唯一のパトカーはジムニーシエラだったが、後で車を借りて島内を走り回ったら、何でこの車をパトカーに採用しているかよーくわかった。

なお、ナンバーが品川なのは、伊豆諸島のナンバー管理の管轄が鮫洲だからだそうだ。

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宿に到着して荷を降ろしてから、とりあえず近所を散歩してみる。

集落は島の北側の高地斜面に広がっており、外輪山の外ヘリにはりつくような形で集落を形成している。

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まずは島内に二つある居酒屋のうち一つ。居酒屋「もんじ」。

全然店に見えないのがアレであるが・・・夜になると店付近で酔っ払いがそこらで小便をしていた・・・ので・・・多分営業しているのだと思う・・・

もう一軒は村長さんがやっている民宿の外でやっている居酒屋がある。

3日間ここに滞在して分かったのだが、この島の娯楽はTVを見るか釣りをするか飲んだくれるかの三択しかない。なので居酒屋が二軒もあるし、よろず屋に置いてある酒とつまみの充実振りも中々の物である。

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菊池商店という島内にある二つの店のうちの一つ。

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営業時間が中々ファンキーな事になっているが・・・こういうネタも割り切って楽しむのが離島の楽しみ方である。

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青ヶ島郵便局

島内唯一の宅配便、郵便、送金、保険などを取り扱う金融拠点

大手銀行のキャッシュカードやクレジットカードが使えるATMもあると、中々便利な場所である。

最終日にこのATMに痛い目に遭わされる訳であるが・・・それはまた後の話。

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交通安全運動実施中 by 青ヶ島交通安全協会

「こんな島で交通安全運動?」と笑いたくなるかもしれないが、意外にこの島は交通量が多く、しかも大型車両がガンガン走っているので色々気を使って運転する必要があったりする。

正直松戸近郊と比べても、ここの運転は変な意味でテクニックが要ると思った。

ところで運転免許はどこで取るんだろうか?八丈にも教習所はないみたいだし・・・

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過疎が進んでいる離島のお約束として廃墟化した建物も点在している。

その廃墟の中を水鳥がほっつき歩いていたりする。

潮風のせいか、コンクリートの劣化が激しいみたいだ。

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東京電力青ヶ島火力発電所

昭和34年まで電気、昭和54年まで水道が無かったと言う青ヶ島であるが、今では立派な火力発電所ができており、電気・ガス・水道の三つの基本的なインフラ供給には何一つ不自由しない島となっている。

ちなみに、昭和30年の正月には天候不順により月一回の定期船の欠航が連続し、石油や家畜用の飼料や野菜や調味料が底をつき、当時の村長が「物資が底をつき、旧正月も過ごせ無い状態だ。このままだと飼料不足で家畜が全滅する。」と救援を求める電信を本土に打ち(当時は電池を使ってラジオと無線機は稼動させていたらしい)、この窮状が本土の新聞で報道された事により、募金が募られて飛行機で救援物資をパラシュート投下して貰って危機を凌いだとか。

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そんなサバイバル感全開であった青ヶ島であるが、今ではこの通り平和その物、毎日ヘリは来るわ、船は来るわ、街灯なんていうハイカラでモダンで贅沢な設備も集落部には完備している。

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青ヶ島はやはり離島振興の補助金の関係もあってか自民党一色であった。なお八丈は幸福実現党との二択だった。

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とりあえず・・・誰が大井町まで演説会を聞きに行くんだ?という野暮な突っ込みは禁止である。

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島内随一のよろず屋「十一屋商店」。食べ物や日用雑貨、釣り用のオキアミなどはここでほぼ揃う。

「じゅういちや」が正確な屋号の読み方らしいが、島の人は「といちや」と皆呼んでいるらしい。

闇金みたいな響き(10日で1割の金利=十一=トイチという隠語があるため)であるがここのおばちゃんは、とても気さくでいい人であった。

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で、トイチ・・・あわわ十一屋の向かいにあるのが島唯一のガソリンスタンドと自動車整備工場。

十一屋でオキアミと氷の手配についておばちゃんに相談し、歩きで港まで行けないかと聞いたところ「全周9kmの島だけど、この島の道はなめない方がいい、第一今は道が崩落して徒歩は絶望的だからレンタカーを借りなさい」との事。確かに後で島を一周して、おばちゃんの言っている事が正しい事がよく分かった、本当にこの島の道はかなりヤバい

この十一屋商店と自動車工場とガソリンスタンドは全部一族経営でやっているようだったが、実質この島にはまともな商業施設がここしかないので、島の商業を牛耳っている一族と言えなくも無いような気がした。ま・・・この島の島民自体が大家族みたいな物だし、とにかく商売っ気が薄い土地であると同時に、店や工場をやっている理由が「自分がやらないとみんなが困る」といった辺りにあるような気がした。とにかく社会的地位とかステータスとか損得勘定自体がこの島には全く欠落しているように思われる。要はみんなで島で生きていくための仕事を分担してやっています程度の感覚なのではないだろうか。それは郵便局や自動車工場なども同じような雰囲気であった。

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更に道なりにテクテク歩いていくと、妙に豪華な建物が目に入る。

目を凝らしてよく見てみると「青ヶ島村立 青ヶ島小中学校」と窓に手書きで紙が張ってあるのが見える。

・・・この島って人口170人程度だよなぁ・・・どう見積もっても小中学生の人口は20人いるかどうかだよなぁ・・・

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更に進むと小中学校の下に謎の施設があった。

中に入って施設のプレートを読んでみるが・・・

和牛・・・・人・・・??センター?

和牛育成の人材育成センターか何かか?と思いつつ施設を見回す。

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設備を見る限り牛の厩舎のような・・・それにしては囲いも何も無い半端な施設だよなぁ・・・

何だこれと思い、再度プレートを見直す

「和 牛 人 工 授 精 セ ン タ ー」 か

すぐ脇に小中学校があるっからって「精」の文字を目いっぱい崩して誤魔化す青ヶ島の恥じらい文化に触れられたような気がした一瞬であった

繰り返します、この施設の名称は

「和 牛 人 工 授 精 セ ン タ ー」 です テストに出るから忘れないように。

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すぐ横に牛の厩舎があって、見事な毛並みの黒毛和牛が一匹つながれていた。

やはり阿蘇山とよく似た二重カルデラ火山だけあって牛の畜産にはとても向いているのだなーと思ったり。最盛期にはこの島には200頭の牛がいたらしい。

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とにかく、この島、夏っぽい写真を撮るには最高です。

今年の本土の夏がグズグズのベタベタでろくな青空を拝めなかったのを一気に復讐する様な勢いの青空と海をそこらの道路から拝めた

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役所や小中学校の集中している一帯は建物の雰囲気が浮きまくっている。

ギザギザの塀、丸い窓やたら高価そうなオブジェやモザイクタイル。ここだけバブル時代の東京都臭がぷんぷんする

予算消化のために目いっぱい設備を大きく作って、特注仕様の小物を至る所につけまくったバブリー設計が、この島の辺境さと相まって異様な雰囲気を醸し出している

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学校の前には島で唯一の信号機が設置してある。もちろん教育目的で設置してある信号だ。

高校の時の神学の先生が奄美大島の出身の人だったが、やはり学校の前に島唯一の信号機が設置されていたと聞いた記憶がある。

離島はこの点、どこも同じようだ。

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ご丁寧にボタン式信号機になっているので、誰かがボタンを押さない限り赤信号になる事は決してない

三日間の滞在期間のうち、車で何度もこの信号は通ったが、一回も赤信号は見なかった。

ちなみにこの写真を撮ったのは祭日だったので旗は一本も箱に入っていなかったが、平日は旗がきちんと入っているのを目撃した。

旗なんぞろくに入っていない本土の信号と比べ、変な意味きちんと仕事をし過ぎだきっと暇なんだろうな・・・

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小学校の隣は図書館であり、ここも恐ろしくゴージャスな作りであった。

開いていれば郷土史などの資料を漁ってみたかったのだが、休日だったので閉館していた、残念。

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小中学校は学校の先生とおぼしき人がグラウンドをローラーカーで整地していた。

それにしても本当に豪華な学校だ・・・

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向かいにはまたまた豪華な保育所も完備している。

本土の保育所待機児童はH20年で1万9千550人いるが、ここではどうやっても待機児童なんぞ発生しないことは保障できる(笑)

宿のおかみさんもそうであったが、この島の労働形態を見るに、保育所なんと言うものは全く不要だと思う。

とにかく島では女性の方がよく働いている。男は・・・女性に比べるとあまり働いていないように見えてしまう。多分力仕事と漁と高い所にある物を取る以外は余り役に立っていないのではないだろうか。

生活・子育て・仕事が一体化したようなアバウトな環境だと女性の社会進出だの何だのといった話以前に、女性が社会そのものであり中核であるように感じた。なので、島では保育所みたいな設備は不要だし、ただの無駄遣いかと。むしろ問題の多そうな港と通信と医療設備に重点を置いた方がいいのではないだろうか。

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保育所の脇にあった巨大な通信用の鉄塔。

これが八丈島との通信をつないでいるパラボラアンテナだそうで、パラボラの向いている先を見ると八丈島がモロに見えるのが大変分かりやすい。

八丈側にも全く同じような設備が双子のように青ヶ島を向いていたのを後で見た。

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~還住像碑文~ 還住像 江戸時代に火山噴火で壊滅状態になった青ヶ島を復興した島の英雄、佐々木次郎太夫の記念碑が学校の脇の坂を上がった所に鎮座していた。

碑文に曰く

天明の大噴火で島人は残らず去り 以後 半世紀にわたる驚くべき勇気 忍耐と協力の闘いで 先人は故郷の島に還り住んだ。
昔も今も 我等が島の若者達は 手を高く挙げ まなじ りを決し 島起こしの船出をする。
明日もまた。
昭和六拾年四月弐拾七日
青ヶ島村

還住ってのがどんな物だったのか調べてみたのだが、これは・・・下手な映画顔負けのとんでもないサバイバル記録だなぁ・・・と思う。

西暦 年号 出来事
1780 安永9 地震が続き、池之沢に火の穴があく。
1781 天明1 噴火、池之沢に岩が残る。
1782 天明2 噴火、降灰のため作物が全滅。
1783 天明3 大地震、大爆発で大池・小池が埋まる。
1784 天明4 1年間災害なし。
1785 天明5

天明の別れ

最大の火山爆発が起きる。 昼でも真っ暗な日が8日間続く。
噴火で家は燃え、畑は灰で埋まり、道は潰れ、人が住めない地獄の火の島と化す。
八丈島からお助け船が出され、203人が八丈島へ脱出し、船に乗り切れなかった残りの130余人は島に取り残され死亡した。
お助け船の積載量や数が足らず、過積載で沈みそうな船にすがりつく妻の手を鉈で斬り落として 八丈島へ逃れたという悲惨な 話が残されている。

1789 寛政1 名主 三九郎ら12人が青ヶ島を調べに戻る。
1793 寛政5 三九郎ら20人が青ヶ島に帰り、うち12人が島に残る。
1794 寛政6 三九郎ら15人、青ヶ島へ出発するが、途中で船が壊れ失敗。
1795 寛政7 一番船、八丈沖で 転覆し、8人が死ぬ。
二番船。8人が青ヶ島へ着く。
1796 寛政8 食料を載せた船が八丈から出るが、黒潮に流され、房州(現在の千葉県)に漂着。
1797 寛政9 三九郎ら14人が八丈から出発するが、紀州(現在の和歌山県)に漂着、三九郎ら12人が死ぬ。
1801 享和1 青ヶ島で8年間復興作業を続けていた7人が復興を断念し、八丈島に戻る。
それから16年間、青ヶ島は無人島になる。
1817 文化14 名主 次郎太夫、青ヶ島に戻る計画を立てて、八丈島の奉行所に計画を提出し、還住事業に乗り出す。
1835 天保6

次郎太夫を始めとした先発帰還隊の十数年間に及ぶ復興作業の末、検地を受けて年貢を納める所まで島の環境を回復させ、青ヶ島の村人全員の還住を成功させる。
「天明の別れ」から50年をかけ、幾多の遭難者や死を覚悟した先発帰還隊の尊い犠牲の上での還住であった。
最終的に男133人、女108人 合計241人が島に帰還。天明の別れを知らぬ八丈島育ちの三世青ヶ島島民が多くを 占めていたのは
還住の困難さを忍ばせるものである。

ここまでして戻りたいと思った青ヶ島が江戸時代にはどのような島であったかという実態を調べるにつれ、この島の隠された側面が色々分かってきたりしたが、それは内輪山方面の土地のレポートと共に解説させて頂きたいかと。

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